筑後市のさぎっちょ

日本には古くからさぎっちょと呼ばれるお祭りがある。
これは、小正月に行われる火祭りだ。
さぎっちょでは、竹や木で組まれたやぐらにその年に使用した正月飾りを入れ、火を入れる。
すると、櫓から煙が上る。
煙に乗って歳神は天に帰っていく。
私達は、この祭りを通して、お正月に迎えた歳神を見送るのだ。
さぎっちょは地域によって呼び名が異なる。
さぎっちょの別名は、左義長、どんど焼き、鬼火、ほうけんぎょう、さいと焼き、おんべ焼きなど様々だ。
実はこのさぎっちょの歴史、正確には判明していない。
平安時代の宮中行事が起源だという説もあるが、中国の元宵節が起源だという説もある。
さぎっちょに関する文献や論文も極端に少ないことから、一般人がさぎっちょに関して正確な情報を手に入れるのは不可能だと思われる。

さぎっちょを行うと大量の灰が降り注ぐため、さぎっちょを禁止する町が増えてきている。
私達がさぎっちょの歴史を深く知る前に、さぎっちょは絶滅してしまいそうだ。

Saggicho is an traditional ceremony, on Jan. 15. It is a large scale bonfire.A tower is built with a wodd and bamboo, and New Year’s decorations are placed inside. As the fire is lit, the some rises hige into the sky, and the god returns to heaven.

This ceremony is to send the god home, who have visited us on the New Year’s holiday.There are several variationsfor it’s name. Depending on the region, sometimes it is called Saggicho, Sagicyo,Dondo-yaki, Onibi, Hohkengyo, Saito-yaki, or Onbe-yaki.

There are no clear background as to when and how it started. One theory is that it originated from the event held at an Imperial court in Heian era. Another is that it has an origin in a Chinese Lantern Festival. It will remain a mystery, yet history continues on.

But due to the large amount oh ash falling upon the residencial area, many cities are starting to prohibit the event itself. There is a great possibility that we may soon loose a such an event, before we truly understand it.

Japan has the old ceremony that is called Sagiccyo. It is the fire ceremony to be held on 15th of January. By the Sagiccyo, the people put New year’s decorations in the tower which was made with bamboo or wood and set fire. And smoke is rising from the tower.

Toshigami return to the sky on the smoke. We give a god that I met for New Year Holidays send off through this ceremony. The Sagiccyo varies in a name by an area. Other names of the Sagiccyo are Sagicyo, Dondoyaki, Onibi, Hougenkyo, Saitoyaki, Onbeyaki, and so on.

In fact, the history of the Sagiccyo does not become clear exactly. The opinion to be the Imperial Court event of the Heian era has the origin of the festival, but there is the opinion to be the Feast of Lanterns clause of China. Because there are extremely few documents and articles about this ceremony, I think that it is impossible that people get correct information about the Sagiccyo.

Because a large quantity of ash pours when this ceremony is held, towns prohibiting this it increase. The Sagiccyo seems to become extinct before we know the history of it deeply.

©KYism
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K.Takeshita

無病息災のお祭りって古代の生命保険だよねって話

今年も福岡県筑後市の熊野神社で行われた鬼の修正会に参加してきた。
鬼の修正会とは約500年前に始まったとされる無病息災を願う祭りだ。
参加者は500kgの大松明を刈又と呼ばれる槍のような道具で持ち上げて、熊野神社の境内を三周回るのだ。
参加者は上半身裸のため大松明からこぼれ落ちる火の粉、というか火の玉を直に浴びなければならない。
実際の祭りの様子は過去の記事を読んでもらえるとわかると思う。また、祭りの起源や久留米の鬼夜との比較記事はこちらで読める。

無病息災のお祭りってその年の自分の健康や家族の無事を祈るわけである。
それって古代(鬼の修正会に関しては古代というには新しすぎるが)の生命保険だよねって思うのですよ。
いつの時代も家族が無事に過ごせるのは身近であり、最大の祈りだったのだろう。
だけど、生命保険と無病息災の違いって生命保険は負の方向にお金を払うわけです。

もし自分が死んだら。
もし自分が病気になったら。
もし自分が事故に遭ったら。

そういうマイナスなことにお金を払うのが生命保険。
ところが無病息災は正の方向へお金や労力を使うわけだ。

健康でいられますように。
無事で過ごせますように。
病気が治りますように。

それってすごく理にかなっているなあと思うのです。
そりゃあ自分が死んだ後に家族になにか遺せていたらというのは大事なことだが、なにも生きてる時から死ぬことに投資しなくてもいいと思うのですよ。

そんな生きてることに力を注ぐ鬼の修正会の参加者は、昨年に比べて大幅に減ってしまった。
地元の力不足もあるが、若者が参加しないそうだ。
先行き不安な現代だからこそ、祭りに参加することが大事だと思うのだが。
約500kgの大松明を掲げるなんて危険な祭りだが、時には正の方向に投資するのはいかがだろうか。

K.Takeshita

福岡の奇祭!? 筑後市で全身に煤を塗って練り歩く奇妙なお祭りがあった!!

奇祭という言葉をご存知だろうか。
字のごとく奇妙なお祭り、奇っ怪なお祭り、珍奇なお祭り、まぁようは独特な風習のお祭りということである。

有名どころだと巨大な男根を担ぐ愛知県の田縣神社豊年祭がある。
世界に目を向けるとトマトを投げ合うスペインのトマティーナ、カラフルに染まるインドのホーリー祭などが見つかる。

奇祭…なんだか面白い。間近で見てみたい。
だけど奇祭なんてそれはナショナルジオグラフィックとかBBCで見るお話。
私になんて関係ないのね……。

なんて思っていたが、実はすぐ近くにあった。

場所は福岡県の南部、久留米市のすぐ隣の筑後市という町だ。
この町では毎年8月の盂蘭盆の時期になると久富観音堂盆綱曳という祭りが行われる。

この祭りの主役は地元の子どもたち。
子どもたちがなんと全身に真っ黒の煤を塗るのだ。

©KYism

そして藁で編んだ角と腰蓑をつけて、重さ約400kgの巨大な綱を曳き回して町中を練り歩く。

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この祭りは江戸時代初期に始まったとされる施餓鬼行事。
不幸にして成仏できずに亡くなった亡者の例を供養するために始まった。
苦しむ亡者を盆の一日だけ鬼が綱で引き上げて、極楽浄土で食べ物を与えて供養する意味が込められている。
全身真っ黒で角を生やした子どもたちの姿は、亡者を引き上げたというわけだ。
また、1641年とその翌年の大凶作によって飢えや病気による死者が続出。その際多くの子どもたちがなくなったことから、その子たちの霊を鎮めようと、こうして祭りでは子どもたちが主役となって綱を曳くことになったと言われている。

物見遊山として見に行っただけのつもりだったが、まさかこんなに深い歴史と意味のある祭りだったとは。
大凶作による飢饉は起きなくなったが、子どもをとりまく社会問題が改善されない現代日本で、今後このお祭りはどんな意味を持っていくんだろう。

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K.Takeshita

筑後市の謎ポエムが早朝のスタバで読むのに丁度いい件

インスタグラムというツールを私が最初に触ったのは9年ぐらい前だったろうか。
ツールと表現したが、そう、インスタグラムは最初はツールだった。
なんか写真をレトロ風(しかも完成度が高い)に加工してくれるアプリがあるでー(まあ、登録が必要だけどな)という扱いだった。
それが今はインスタグラムはSNSだ。
若い子が使っていたかと思えばおっさんやおばさんも使うようになり、企業や団体も使うようになった。
インスタグラムが普及し始めた当初、ナショナルジオグラフィックで「インスタグラムは写真なのか?」という議論を扱っていたが、それはもうはるか昔の話で、インスタグラムが写真かどうか本気で議論する人間は今はいない時代になってしまった。

福岡県南部に位置する筑後市もインスタグラムアカウントを持っている。
アカウント名は「恋のくに筑後市インスタっ隊」である。
もう田舎臭いネーミングセンスが漂っている。
地方の草野球チームの応援団みたいなネーミングである。
隊員は試合の後、缶詰居酒屋で打ち上げしてそうな雰囲気だ。

私は付き合いもありこのアカウントをフォローしてみた。
どこかのタイミングでフォロー外してもいいかもと思っていたが、このアカウントがなかなかおもしろい投稿をするのだ。
よくある広告会社を真似したけど足元にも及んでない地方の投稿とは一線を画す。
どこどこで花が咲いたとかどこどこの店の食べ物が美味しいとかそういう地元目線のコアな情報が投稿される。
この筑後市のアカウント、投稿される情報が魅力的なのは当たり前として、さらに魅力的な、いや魅力がある。
それが、謎ポエムである!!

例えば

まだ新し目のカフェで一息。向かいに座る相手がいたらな。

とか

都会っぽさもあれば、田舎っぽさもある筑後市。フワフワ、あなたのもとへ飛んでいきたい♪

とかである。
まるで高校生活にうまく溶け込めない文学系の美少女とか世界の命運を一人で背負うことになった世界系ラノベのヒロインが書いたような文章だ。
これからは早朝のスタバで村上春樹を読むのはダサい。
読むべきはこの「恋のくに筑後市インスタっ隊」のポエムである。

昨日のお昼はあさひや。
*
私は単品で、彼はセット。
*
餃子いいなぁっておねだり
*
一つもらえた(*^^*)
*
*
*
*

なんてことはないラーメン屋での一場面。
「私は単品で、彼はセット。」の下りがなにか意味深げに聞こえてしまう。

筑後ビレッジに週2回くらい来てくれる可愛い移動カフェ『ハナウタカフェ』。
「寒いね」って2人で言いながら、あったかコーヒー飲んじゃお♪

なんだこの「寒いね」って言い合える相手とハナウタカフェに行きたくなる感じはっ!
ここで登場するハナウタカフェとは筑後地域を中心にコーヒーやソーダなどを販売している移動式のカフェだ。

バレンタイン前にひいたピンク色の恋みくじは大吉♪
背中を押されて告白した昨日、結果はヒミツね!(*´艸`)

ちょいちょいちょーい!!
なーに一人でうるおい手に入れちゃってんのよ―!!と茶化したくなる投稿だ。
見てるこっちまで乙女になってくる不思議文章。

「今日はジャングルに行こうよ」
「いいね♪俺、黒のドラキュラにしようかな」
そんな予定を話して朝からウキウキ。

ここでジャングルと黒のドラキュラが登場。
まるで異世界転生もののような単語の羅列だが、これは筑後市にあるジャングルスープカレー屋の黒のドラキュラというメニューについて語っている。
このジャングルスープカレーは堀江貴文氏のホリエモン万博にも出店した。

雨の音を
聞きながら
紅茶を
八女茶を
鉱泉焼で
いただきながら
ゆっくりとした
幸せな
時間を
楽しみながら
過ごせる場所。

まるで雨音のような文章。
「紅茶を 八女茶を」とお茶を二つ登場させることで登場人物が二人であることを匂わす巧みな技術。

『恋してる?』マスターが聞いた。
『……してますよっ』
『じゃあ、君にはこのキッシュを。』
『…恋が叶いそうですね』

くぅーーーーーーーーーう!
こんなマスターほんとに世の中にいるのかい。
思わず川平慈英になってしまった。

嫌いになろうとした。
失敗した。
やっぱり大好きだった。
このままで
良いですか。

これはピザ屋を紹介する投稿。
もはやピザ屋関係ない。
ピザ出てこない。

くーっ!
無性にラーメンが食べたいよぅ!
そんな時、
はいはい、白龍軒ね
って分かってくれる、
付き合ってくれる、
あなたで、
良かった。

くぅーーーーーーーーーう!(本日2回目)
いやいや、やっぱりこのインスタアカウント技術が巧い。
なんせ平仮名が多い文章の中「白龍軒」という漢字を引き立たせることに成功している。
ちなみにこういったポエムは早朝の5時に投稿されている。
あさっぱらの5時にこんな文章を投稿するのは「耳をすませば」の雫のような頑張り屋さんに違いないっっ!!

出逢って
数年経つけど
まだ
あなたの笑顔に見惚れてしまうし
まだ
あなたの声にドキドキしてしまうのよ。
また
いつものウッディで
ご飯を食べながら。

なんだこの卒業式間近の少女の心みたいな文章は。
しかもウッディの破壊力やばい。
ウッディってトイ・ストーリーですか!?
それともひぐらしのなく頃にですか!!??
それとも彼氏の名前がウッディさんなんですかーーーー!!!???
※筑後市のカフェレストランの名前です。

ありがとう
さよなら。
遠くに旅立っても、
『さざなみ』で
みんなでモツ鍋食べた
あの時間のことは
きっと忘れない。

エヴァンゲリオンの最終回を連想させる始まり。
「旅立ち」と「さざなみ」という単語からはリチャード・カーティス監督の「アバウト・タイム」という映画で主人公が父と一緒に浜辺を歩いているシーンが自然と浮かぶ。
「あのイーハトーヴォのすきとおった風…」のような髪と頬を優しく撫でるこの文章にいきなり「モツ鍋」という単語が登場する!
この破壊力はヤバい!!
美少女アイドル声優が「好きな食べ物はモツ鍋です」と言うくらいインパクトがある。
だけど、なに、このモツ鍋が食べたくなる投稿は(トクン)

とまあこんな感じでポエムが投稿されているのだ。
調べたところこのアカウントが始まってしばらくはポエムが投稿されていなかった。
どうやら2017年4月頃からポエムが始まっている。
ということは、2017年4月から筑後市観光協会に新海誠的美少女が就職したのだと思われる。
そんな筑後市観光協会は筑後市の観光のことで困ったら親身に応えてくれる団体なので、ぜひ困ったことがあれば下記の公式ホームページよりお問合せ願いたい。

一般社団法人筑後市観光協会
恋のくに筑後市インスタっ隊( @koinokuni_chikugo_instattai )

K.Takeshita

廃線探訪:チャリラーの僕が矢部線跡をサイクリングしてみたよ(羽犬塚駅〜八女総合体育館)

今回は自転車に乗って矢部線跡を巡っていきたいと思う。
ちなみにスポーツバイクは嫌われるおっさんの趣味ベスト3に入ってるのだとか。
それに加えて廃線趣味なのだから、このウェブサイトはモテない方向に猪突猛進しているとしか思えない。

それはさておき、このサイクリング、スタート地点は福岡県筑後市にある羽犬塚駅から始まる。

この羽犬塚駅、かつては国鉄矢部線の駅だった。
そのため羽犬塚駅には現在も旧羽犬塚駅跡が残っているのだ。

それは改札口入ってすぐの駅のホーム。
このホームを筑後船小屋駅方面にずっと歩いていくとフェンスにたどり着く。

このフェンスの奥に見えるホームが旧羽犬塚駅のホーム跡だ。

こんなフェンス簡単に乗り越えることができるが、一応僕も三十路。
勝手なことしては駅員さんに怒られそうなので、フェンス越しにホームを眺めるだけにする。

 

改札口から駅を出て鹿児島本線沿いに筑後船小屋方面に進んでいくと、橋の跡が見れる。

花田橋のとなりにひっそりと残る橋台。ここに昔矢部線の線路が走っていた。
2003年の段階ではこの花田橋近辺には矢部線の線路が走っていた跡がくっきりと残っていたようだ。
具体的に説明すると、草むらの中に線路跡が白くくっきりと残っていた
2019年現在、線路跡を確認することはできなくなっている。残念。

旧ホーム横のアスファルト部分が、矢部線の線路が走っていた所。現在ここは立入禁止。この空間は今後どのように活用するのだろう。

 

さらに鹿児島本線沿いに南下していく。
すると、和泉踏切が見えてくる。

この踏切のアスファルト部分には亀裂が入っている。
矢部線のレールを剥がさずにアスファルトで埋めたと思われる。
このアスファルトを剥がせば中から線路が出てくるのだろうか。
だとしたら、剥がしてみたい。
まさに廃線野郎たちのためのタイムカプセル。

和泉踏切の足元にも注意されたし。

しれっと境界杭が残されている。
この「工」と書かれた境界杭は旧国鉄の境界杭なのである。
どうやら殖産興業を推進するために設置された工部省の「工」を意味するマークのようだ。
工部省は造船、鉱山、製鉄、そして鉄道などの事業を管轄していた。
なぜ境界杭に「工」というマークが採用されたかというと、工部省の「工」と鉄道のレールの断面図が「工」みたいな形をしているから。
なかなか明治政府は粋なことを考える。

JRになってからの境界杭はこのJRというマークが入っている。旧国鉄を追っている方々は区別されたし。

 

さらに南下すると道がカーブを描き始める。

このカーブを進んだところに桜の木がある。
この桜の木の根元に側溝があり、その側溝にはなんと…、

「工」のマークの境界杭が!
こんなところにも矢部線の史跡があった。

 

道沿いにひたすらペダルを漕ぐ。
畑の中をのびる弧を描いた道。

この道が矢部線跡。
道の脇の草むらを見ると…、

「工」のマークの境界杭が!!

矢部線に興味を持たなければ決して見向きもしなかっただろうコンクリートの小さな鉄道史跡。
畑を潰して住宅を建ててる土地がちらほら見られたが、これらの境界杭もいつか撤去される日が来るのだろうか。
そう思うと淋しい、惜しい。
ちなみにこの辺りの土地の衛星写真をGoogle Mapとか地理院地図で見ると畑の中をすらっと曲線を描いた道(矢部線跡)が走っているのを見ることができる。
いかにも昔線路が走ってましたよーと言わんばかりのくっきりした曲線の道路は画的な気持ちよさがある。
廃線マニアはぜひ閲覧されたし。

ペダルを漕いで道なりに進む。

野町北の信号を通り過ぎ、さらに道なりに進む。
この信号の先が花宗駅跡だ(今はただの道路になっている)。
花宗駅は一面一線の単式ホームで、駅舎もない無人駅だった。

 

ここからさらに道沿いに進む。

八女インター南の信号を通り過ぎ、さらに道なりに。

すると九州自動車道(鵜の池橋)にたどり着く。

この橋に関してはfukupediaというサイトで面白い考察をしている。
橋についている黒い汚れは、矢部線のディーゼル車の排煙による煤ではないかという考察。
かなり面白い着眼点だと思った。
ただ、僕がサイクリングしたこの日は工事中で黒い汚れを確認できず。

 

さらに八女方面に進むと鵜池団地という市営の団地が見えてくる。
この辺りがかつて鵜池駅が建っていた場所。
単式ホーム一面一線、矢部線開通とともに開業した駅で開業当初は木造の駅舎があったが、1962年に駅舎は撤去され無人駅となった。開業当初は開業記念としてホームに桜の木が植樹されたらしい。

現在県道96号から鵜池団地に入るための道路は、かつて鵜池駅に向かうための道路だった。

 

鵜池団地のすぐ隣にはレンガ造りの建物がある。

これは、農業用倉庫(現在の使用状況は不明)。
建物の趣きはかなり好み。

 

道沿いに自転車を進めると住宅街が見えてくる。
JAふくおか八女の看板手前のこの辺り。

この辺りに蒲原駅があったらしい。
駅構造は単式ホーム一面一線。屋根とベンチがあるだけの小さな駅だった。
道路脇などを色々観察したが、駅跡らしき痕跡はどこにもない。
きれいさっぱり史跡が取り除かれている。

蒲原駅跡を通り過ぎると八女伝統工芸館と八女福島のトンネル藤が見えてくる。

八女伝統工芸館と鉄道記念公園は矢部線マニアなら絶対訪れるべき場所。
矢部線を扱ったサイトなら必ず取り上げられる場所だ。
なぜならこの場所はかつて筑後福島駅だった場所で、現在も鉄道史跡がしっかりと遺されているから。
だが、この場所についてテキストを書き始めたらそれこそ長文駄文になってしまうので、また別の記事で取り上げることにする。

八女伝統工芸館正面出入口、ドラッグストアのすぐ隣のアパートには思わぬ鉄道史跡が残っている。

『駅前アパート 管理 立花支所』と書かれたものすごく錆びついた看板。
駅前、とはもちろん筑後福島駅のことだ。

 

八女伝統工芸館を通り過ぎて、さらに黒木方面へ進む。
すると八女総合体育館へたどり着く。

八女総合体育館の裏手の道が旧矢部線跡。
この道路の脇の畑に注目すると…、

おなじみ「工」のマークの境界杭がある!!
もう「工」のマークの境界杭を見ると落ち着くようになってしまった。

国道3号線の手前、八島鉄工所の前に今古賀駅があった。
国道の真下をディーゼル車が通るってどんな感じだったんだろうか。
もしかしてSLが通るときもあったんだろうか。
その時の風景は、もう見ることができないのがとても残念。

 

羽犬塚駅から八女総合体育館までの走行時間は約2時間弱。
道中色々探索、撮影しながらのライドだったのでかなり時間がかかってしまった。
そこまで探索しないのなら走行時間は1時間弱だと思われる。

今回のサイクリングはここで終了。
続きはまた今度。

※以下、参考にしたサイト
【八女市&筑後市の旅】旧国鉄矢部線を辿る | fukupedia
廃線探索 矢部線 | 歩鉄の達人
矢部線廃線跡調査 | 失われた鉄路を求めて
国鉄の駅 in 九州 | モノフォトショップ添田カメラ

K.Takeshita

30歳で初体験!? 軟弱男が火炙りになりながら地域のお祭りに参加してみた -筑後市熊野神社の鬼夜 参加体験記-

今年の1月5日、鬼の修正会(通称:鬼夜)が筑後市熊野神社で執り行われた。
実はわたくし、このお祭りに参加してきた。

なぜ筑後市在住でもない私が筑後市の鬼の修正会に参加したのか。
きっかけは遡ること約一ヶ月ほど前。
昨年の12月に筑後市観光協会の知人に呼び出された。
「鬼の修正会というお祭りがありまして」
観光協会の事務所に呼び出された私は知人からいきなり説明を受けた。
事務所に呼ばれて説明を受ける。もうこれは闇金ウシジマくんの世界である。
事務所に呼び出されていきなり説明を切り出されて逃げられるわけがない。
鬼の修正会の話をうんうんと聞き、「出てくれますか?」と言われたら出ない訳にはいかない。

そもそも筑後市の鬼の修正会とはどんなお祭りなのか。
久留米市の大善寺でも鬼夜が行われるが、筑後市の鬼夜と久留米市の鬼夜は由来が異なる。
筑後市の鬼夜は約500年前に始まったとされる火祭りである。
家内安全や無病息災を願うお祭りだが、それだけでなく、大松明の火の粉を浴びれば結婚できるとも言われている。
祭りの参加者は刈又と呼ばれる棒で竹や木を束ねてできた長さ約13メートル、重さ約500kgの大松明を支えて熊野神社の境内を3周する。
昔は神社ゆかりの男たちだけで行われていたが、近年は参加者数が減り大松明が転倒する恐れがあるから、市内外から参加者を募っているのだそうだ。

……。

…え?

大松明転倒??

長さ13メートル、重さ500kgの???

それ、危険やん。

そんなのに僕みたいな気弱な人間が出ていいの??

「大丈夫。大丈夫。あくまでメインは地元の慣れた人だから」
という甘い言葉。
え、ほんとかそれ。だって松明支える人が少ないんでしょぅ??

私が鬼の修正会の話を聞いていると、近くにいた観光協会のスタッフが声をかけてくる。
「何話してるんですか?」
「鬼の修正会の説明をしてるところ」
「ああ、男塾ですね」

男塾!!??

なにそのコードネーム。
男塾だよ。
男塾って聞いたら皆あのマンガ思い出すんだよ!!
俺なんて普段読んでるマンガ「のんのんびより」とか「ゆるキャン△」だよ!
男塾読んだことないよ!!

そんなわけで成り行きで筑後市民でもないのに筑後市の鬼の修正会に参加することになった。

1月5日。祭り当日。
18時に筑後市役所前に集合する。私以外に参加者は3人。計4人。心もとねぇ…。
参加費¥3,000を支払う。この参加費の中には保険代も含まれている。

車で熊野神社まで移動。神社にて無事を祈り、公民館に移動。
大松明担ぐまではまだ時間あるからここでご飯食べててよと案内される。
公民館に入ると、そこにはずらりと並んだ長テーブルと豪勢な料理と酒、酒、酒。
料理は刺し身に寿司に唐揚げにローストビーフ。
酒は大量のビールに日本酒。

す、すげぇ!

目の前の料理に私達4人は唾を飲み込んだ(チョロい)。
すでに長テーブルには地元の人達が座り大宴会状態。
私達は座りビールをお杓し合った。
ちびちびビールを飲みながら軽く自己紹介をし合う。
応募を見て参加したのは一人。後はみんな観光協会からの口説きとか。
ビールを飲んでいると地元の人がやってくる。
「今日はどうもありがとうございます」と頭を下げられたので、私達も頭を下げて「こちらこそよろしくおねがいします」と挨拶をする。
田舎の正月という感じだ。
私達は刺し身をつまみ、ビールをすする。
また地元の人がやってくる。
「本日はどうもありがとうございます。どうぞ酔わない程度に飲んでください」とお酌をされる。
「酔わない程度っていってもビール瓶の数すごいですよ」と冗談を言うと、皆が笑った。

「やっぱり参加者少ないですね」
「そりゃそうですよ。皆この時期ディズニーランドとか行きますって」
「でもディズニーじゃ刺し身や寿司食べれないですよ」
「3000円でこのごちそう食べれないですよね」
「あと、裸にもなれない」
などと冗談を言い合っていたら、唐突に
「祭りの説明するぞー!」
と声が響いた。
どうやら一旦食事を中断してオリエンテーションがあるようだ。
私達は外に出た。
大松明の説明がある。境内を回るという説明がある。
では刈又を持ってみましょうと促される。
刈又とは大松明を持ち上げる棒。棒といってもただの棒ではない。大松明に刺せるよう先端が銛のようになっている。
私達は刈又を持ち上げた。

……持ち上げた。

………持ち……上げ…た。

…どうしよう。持ち上がらない。

「え? なにこれ!? おもっ!!???」
思わず声が出る。
「もっと腰で持ち上げんか!」
背後から声をかけられ、「ぬぁぁああーー」という感じで持ち上げる。
なんとか持ち上がる。
だが、持ち上げた状態を維持し続けるのはキツイ。
「やばっ!」
刈又を地面に落としてしまった。
周りの参加者もビビっていた。
「そんなに重たいと?」
「うん。重たい」
「やばい」
さっきまでの余裕はぶっ飛び、私達は一気に焦り始めた。
再び公民館に戻る。
本番まで食べててよと案内される。
「おい、食っとけ」
「23時までなにも食えねえぞ」
「食ってスタミナつけとかないと」
「おい、酒も飲めって」
「シラフじゃあんなことできん」
私達は遠慮せず飯を流し込み、酒を食らった。
ぞろぞろと若い衆が集結し始める。どうやら市役所の祭り部の若者たちらしい。
皆若い。たぶん私らより若い。今どきの若者。サードウェーブ系男子みたいな人もたくさんいる。休日の趣味はY-3の服を着て馴染みのケバブ屋に行くことですみたいな男子もいる。
皆がプロではない、故に気を抜いたら大惨事になる。

ビールを飲んでいると、経験者の一人が声をかけてきた。
「いやー、初めて参加した時は手の皮がずるむけになりましたもん。お尻の火傷の痕がまだ消えないし」
私達は話の内容よりその経験者の顔を見つめていた。
坊主で、眉毛を剃っている。
坊主で眉を剃った厳つい兄ちゃんである。
そりゃあ中学生のときにいきって眉を剃るやつはいるだろう。
しかし大人になって眉を剃るやつなんてそうそういない。
いるとしたらそいつはまごうことなき強者である。
そして私達の目の前には今、強者がいる。
その強者が手がずるむけになってお尻を火傷して、火傷の痕が治ってないと申しておられる。
勝てない。私らのような軟弱ぽこちん野郎には勝つ見込みがない。
どんだけやべーんだよ、鬼の修正会って。

「ほらー!! 着替えるぞー!!!」
汽笛のような掛け声。
いよいよ始まった。
私達は服を脱ぎ、サラシを巻いた。靴下を脱いで足袋を履いた。
足袋を履くのにもたつく人が何人もいたが、私はスムーズに履けた。高校のときに弓道部に入っててよかったと思った。
着替えた者から外に出る。
寒い。
しかし、そんなことはどうでもいい。
男達が二列に並ぶ。
いつの間にか厳つい男達も集まっていた。どうやらベテランの彼らは別の場所で酒宴を開いていたようだ。
私達一般参加者、市役所の祭り部、ベテラン勢。
「ワッショーイ、ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
私達は熊野神社から離れた場所に移動させられ、火を囲み、ひたすら叫び続けた。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
喉があっという間に嗄れる。
「飲むか!?」
と言って渡される透明の液体。もちろん酒。清酒。
清酒で喉を潤し、再び叫ぶ。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
配られる酒。最初の頃は紙コップに入れて飲んでいたが、だんだん面倒くさくなり皆で一升瓶を回し飲みし始める。
酒を飲み、皆で肩を組み火の周りを回った。
気温は低いが、体は熱い。
清酒が、神事のときに捧げられる物だという意味がなんとなくわかった気がした。
21時前。
私達は小松明を持って隊列を組み、熊野神社に向かって走った。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
熊野神社ではすでに燃え盛る大松明がそそり立っていた。
私達が神社から離れた場所で掛け声を掛け合っている間、熊野神社では神聖なやり方で大松明に火がつけられていたようだ。
いつの間にかものすごい数の観客も集まっていた。
大松明からはぱちっぱちっという竹が弾ける音が聞こえた。
燃え盛る炎が辺りの大気をゆらしていた。
裸の上半身が炎で熱い。肌がピリピリする。
大松明から炎がこぼれ落ちた。火の粉が舞う。肌に火の粉がかかる。チクッとした痛さ。
私達は小松明を地面に下ろし、小松明を囲って円陣を組んで叫び続けた。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
鐘の音が聞こえた。
私達は刈又を手にした。
オリエンテーションの時は持てなかった刈又を今度は持ち上げることができた。
温まった体と酒で覚醒した脳のおかげだ。
刈又を構える。
「いくぞー!!」
誰かが叫んだ。いや、頭の中で聞こえた幻聴かもしれない。
私達は刈又を構えて大松明に向かった。
まるで戦のようだった。
火を噴く竜に槍で挑んでいる気分だった。
刈又の先を大松明に差し込む。
大松明から炎の塊が落ちてきた。
それが私達の上に降りかかる。
熱い。だが、気にしない。いや、気にならない。
もはや熱いとかそんなのはテンションを上げるための一要素。
全員で大松明を持ち上げた。
「ワッショイ!」
誰かが叫んだ。
「ワッショイ!」
もう一度誰かが叫んだ。
「ワッショイ!」
「ワッショイ!」
今度は誰かが応えた。
「ワッショイ!」
「「「ワッショイ!!」」」
声が大きくなった。
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
声の大きさに合わせて大松明が動き出す。
周りのお客さんから歓声が上がった。
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
私達は大松明を抱えて境内に通じる階段を登った。
が、ここで…。
大松明が刈又からこぼれて地面に落ちてしまった。
逃げる観客。避ける参加者。
石階段に叩きつけられた大松明からは火の粉が溢れた。
「落とすな! 落とすな!」
「持ち上げるぞー!」
どこからともなく声が上がる。
私達は刈又を大松明に突き刺して、再び持ち上げた。
「ワッショイ!」
「「「ワッショイ!!」」」
「まだまだ声だせー!!! 声合わせろーーーー!!!!」
「はい!!!!」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
大松明がゆっくりと動き始める。
気を抜けばまた大松明が落ちる。まるで暴れる竜を皆でひっぱっているようだった。
「お前あっちに回れ!!」
「後ろから刺すなー。前から支えろ」
熟練者の指示が飛び交う。
「おまえらそんなんでいいとやー!!」
「なにしよっとかーーー!!」
観客としてやってきていたOBが私服のまま飛び込んできた。
「こうやって持つとやーーー!!」
彼らは私服のまま刈又を構えて大松明に差し込む。
「ほら、声声!」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「後2周ーーーー!!!!!」
「はい!!!!」
「お前、ポジション変えろーーー」
「刺す場所考えろーーー」
「慌てるな慌てるな」
「絶対落とすなよーー」
「何考えとるとやーーーー」
「声声声ーーーー」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
目の前を舞う火の粉。かすかに聞こえる鐘の音。観客からの励ましの声。
「3周回ったぞーーーーーーーーーー」
「はーーーーーい!!!!!」
「階段降りるぞーーーー。今度は落とすなーーーー」
「はーーーーーーーーーい!!!!!!」
私達は大松明を支えながら一歩一歩階段を降りた。
今度は落とさなかった。
ゴールに辿り着いた。
「落とすぞ!!!」
「せーーーーーーーーーのっ!!!」
私達は一斉に刈又を外した。
大松明が役目を終えたかのように地面に落ちる。
火花が宙を舞った。
「終わったーーー」
「戻るぞ戻るぞーーーー」
私達はそれぞれ知り合いに声をかけたりしながら公民館に戻った。
公民館に戻ると皆トイレに行った。寒いところから暖かいところに戻ると緊張が一気にとけた。
服に着替えて、再び料理を囲む。
参加者同士お疲れ様と称え合いながら酒を飲んだ。
皆喉ががらがらだった。
肌が火の粉で赤くなっていた。
こんなに大声を出したのは何年ぶりだろうか。
高校の体育祭ぶりかもしれない。
地元の人がやってくる。
「おつかれさまです。ありがとうございます」と挨拶された。
私達も「ありがとうございます」とお礼を言った。
聞くところによると、この鬼の修正会は夏くらいから準備をしているらしい。
久留米大善寺の鬼の修正会と比較して筑後市の方が過激なのだとか。
地元の人達は明日の朝7時から片付けらしい。
ほんとに頭が下がる。
参加者同士でビールを注ぎ合いながら「来年も出るんですか?」と互いに訊いた。
「いやぁー、どうですかね」と皆照れを隠しながら答えた。
でも、来年も出たいと思った。
祭りの時に生まれる奇妙な友情と喉が嗄れるほどの発声はおそらく大人になってなかなか味わえるものではないから。

Photo:H.Moulinette
Text:K.Takeshita

久留米探訪 其の壱:日本三大火祭り、正月の夜を炎で染める大善寺玉垂宮の鬼夜

日本には古来より多くの祭りがある。そしてその中でも奇祭と言われるのが火祭り,中でも1600年の歴史を持つ国の重要無形文化財、大善寺玉垂宮の鬼夜は、道祖神祭り(長野)、鞍馬の火祭(京都)、那智の火祭り(和歌山)と並び日本三大火祭りと呼ばれている。そう、本来は三大祭りだったのだが、その歴史と重要性、規模と独自性が甲乙つけがたいがために、今では四大火祭りとなっている。

©KYism

その歴史は古く、仁徳天皇五六年(368年)一月七日、藤大臣(玉垂命)が勅命により当地を荒し、人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪(ゆすらちんりん)を闇夜に松明を照らして探し出し、首を討ち取り焼却したのが始まりだと言われている。

鬼会と呼ばれる一連の行事は大晦日の夜に始まる。まずは神官が火打石で起こした御神火(鬼火)を護り天下泰平、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する。そしてその祭りのクライマックスが、一月七日の夜、闇に包まれた境内で灯された長さ13m、重さ1.2トンの巨大な松明6本を裸の若衆が引き境内を回る鬼夜だ。

一連の神事を行うと、大松明に火が灯され、境内を埋め尽くした観衆からは歓声が上がる。さらにはその大松明に若衆がよじ登り、大松明を縛っている縄を外していく。熱さに耐えながら縄を解くと、境内に集まった多くの観衆から再び歓声が上がる。

©KYism

6本の大松明は両側に陣取った「たいまわし」と呼ばれる裸の若衆が長い刈又(かりまた)と呼ばれる樫棒で支えながら、勇猛に神殿を時計回りで2度回るのだ。火の粉が舞い散り、「オイサッ ホイサッ」と言う掛け声とともに境内を移動するド迫力の大松明は一見の価値あり、その炎にあたると無病息災・家内安全・災難消除・開運招福と言われており、多くの人がその松明について歩くのだ。

一番松明だけは境内を一周した後に惣門をくぐり、社前の川に設けられた汐井場で 火が消され、それにより鬼は「シャグマ(赤熊)」らに護られ禊を済ませて神殿に帰っていくのだ。

新年早々真冬とは思えぬ熱気、松明の熱で汗だくになり、さらには燻製状態までに煙に燻されて祭りを満喫することができるチャンスなどそうあるものではない。これだけ歴史ある貴重な祭りだけに、わざわざ遠方から毎年訪れる人も多いのだ。まだこの祭りを体感したことがなければ、間違いなく損をしている。一見の価値あり、一度は必ず自身で体験すべきだろう。

そして体験と言えば、なんと隣町の筑後市には似たような祭り、熊野神社の鬼の修正会(県の重要無形文化財) が存在している。共通部分は多いのだがその由来は異なり、こちらは大善寺玉垂宮の鬼夜に比べると歴史は浅く、527年前の1492年に始まり、仏に罪を懺悔し無病息災や五穀豊穣を祈る祭りだ。巨大松明も長さは13mで同じながら少し軽量で、重さ500kgとなっている。また裸の若い衆が支えながら境内を3周するのも同じながら、松明を支えるの刈又(かりまた)の形状が少し違う上にしなるために松明を支えるのは容易ではない。また大善寺玉垂宮の鬼夜が賑わうのに対し、人手不足が顕著で昨今は市内外から公募しなければならない状況となっている。

見るだけでは満足しない人にはこちらがおすすめ、火の粉を被りながら祭り自体に参加してみるのがいいだろう。

H.Moulinette