久留米のリオのカーニバル!? 久留米そろばん踊りと久留米絣の意外な関係!?

時に、西暦2019年8月4日。
私は今年も久留米そろばん総踊りに参加してきた。

参加する前、私は友人にこう言った。
「今年も久留米そろばん踊りするから、よかったら見に来てよ」
すると、友人はこう答えた。
「そろばん踊りってなに?」
マジか。
同じ筑後地域に住んでいながら知られていないものなのか。

久留米そろばん総踊りとは毎年8月上旬、『水の祭典久留米まつり』の中で行われる催し物だ。
久留米の道路1キロメートルほどを歩行者天国にし、地元企業や団体を中心に県内外から集まった参加者が隊列を組んでそろばん踊りを踊りながら歩く一大イベントである。
踊り方や掛け声に基本の型はあれど、各々所属する企業や団体で微妙にアレンジされているのが面白い。

そろばん総踊りは不思議なお祭りだ。
普通祭りは神様を祀るためにある。
神社の神様を祀るため、土地の神様を祀るために行われた祀りが祭りに変わったのが現代のお祭りである。

久留米そろばん総踊りはちょっと違う。
久留米そろばん総踊りで皆が踊る久留米そろばん踊りという唄は元々は『久留米機織り唄』と呼ばれる新民謡であった。
久留米絣を織る機械の音とそろばんのカチャカチャっという音が似ていることから、唄に合わせてそろばんを振ったことが始まりだと言われている。
そう聞くと、映画『もののけ姫』のたたらのシーンを思い出す。劇中女性たちが唄に合わせてたたらを踏む。
久留米機織り唄も作業のリズムをとるための作業唄として唄われていたのだろうか。
いや、どうやら違うらしい。
久留米機織り唄は作業唄ではなく、明治時代頃から座敷で唄われていたものだとか。
花街や料亭などの酒宴で芸者が唄い、客としてやってきていた商人たちが持っていたそろばんを(久留米絣の機織りの音に見立てて)カチャカチャ振ったのがそろばん踊りの発祥だと言われている。
この唄に伴奏のそろばんを持った踊りがつくのは1972年、まさに第一回「水の祭典久留米まつり」がスタートしたころだったのだ。

そろばん踊りの説明を受けた友人はこう言った。
「阿波おどりみたいなもん?」
うーん。ちょっと違う。
「じゃあ、リオのカーニバルみたいなもん?」
言い得て妙だった。
それぞれの団体が踊りをアレンジして、練習して、本番で踊る。
祭りでは審査もあってコンテンストの結果発表もある。
もちろん本場のリオのカーニバルほど必死なものではないが、たしかに、近いものはあるかもしれない。

K.Takeshita

創業51年のケーキ屋さん御座船本舗必勝堂が閉店!?今だからこそ必勝堂のたぬきケーキについて語ろうと思う

福岡県は久留米市十二軒屋の交差点にあるケーキ屋さん、必勝堂御座船本舗十二軒屋店。
このお店が今年の4月末日を持って閉店した。

私がこのお店に行ったのは昨年のこと。
十二軒屋という交差点のただ中にあるお店なので目につくことは多かった。
ただ駐車場が不便なのでなかなかお店の中に入ることはなかった。
それが、ある時、お店の外からそっと中を覗いた時にたぬきケーキがあるのを見つけた。

たぬきケーキ。

この存在を知らない人は多いだろう。
私も東京でこの存在を知った。

それは東京の文学フリマで「まつもとよしふみ氏」が発行しているzine「たぬきケーキめぐり」に出会ったときだ。
zineの作者まつもとよしふみ氏は「たぬきケーキのあるとこめぐり」というブログを連載している。
そこには全国のたぬきケーキの情報が載っている。
文学フリマで販売されていた「たぬきケーキめぐり」というzineは、いわばブログのペーパー版である。

©KYism

たぬきケーキは、たぬきを模したケーキのことで、多くはバタークリームとスポンジとチョコレートでできている。たぬきケーキの発祥は、詳しくわかっていないが、昭和30年代辺りに日本のどこかで生まれたらしい。高度経済成長期、たぬきケーキは町のケーキ屋さんからケーキ屋さんに広まり、愛らしい見た目のたぬきケーキは町のケーキ屋のアイドル的存在になった。
時代が平成に変わったあたりからたぬきケーキを取り巻く状況が変わった。町のケーキ屋さんの代わりにコンビニが台頭し、スイーツが多様化した。コンビニでは流行りのスイーツが気軽に手に入るようになり、町のケーキ屋さんの需要が減り、町のケーキ屋さんのショーケースから時代遅れのお菓子は追い出された。たぬきケーキはこうした時代の変化とともに全国から姿を消していった。
※たぬきケーキの説明はまつもとよしふみ氏のzine「たぬきケーキめぐり」を参考にしています。

とにかく私はこの「たぬきケーキめぐり」という書物にハマったのである。
なんせ文章からにじみ出るたぬきケーキに対する興奮、写真から伝わるたぬきケーキに対する愛が半端ない。

食べてみたい。

私はサラリーマン甘太郎のような気分でたぬきケーキを一口食べてみたいと思った。

©KYism

御座船本舗必勝堂に鎮座していたたぬきケーキは「たぬきちゃん」という名前で売られていた。
もはや鼻なのか口なのかわからない、たぬきちゃんの顔の白い部分。ドラえもんの顔の髭が生えている部分みたいだ。
同じく鼻なのか口なのか判別つかないくりんっ!と尖った突起物も愛らしい。
たぬきちゃんの耳を象っているチョコレートの部分。チョコレートの円柱は、もはや耳ではなく角だ。
この角のせいでたぬきちゃんは狸ではなく神聖な生き物のようにも見える。
おそらくたぬきちゃんを擬人化した際には「ひぐらしのなく頃に」の羽入ちゃんのようになるはずだ。
そして注目するべきはたぬきちゃんの目だ!
今日日黒いきれいな光沢のチョコレートはいくらでもあるはずなのに、おばけのホーリーの体色のような非光沢のチョコレート。
人の作りしものであることを証明するかのような焦点のあってない瞳。

素晴らしい。
可愛い。
この素晴らしいたぬきちゃんに祝福を!

感動するべきは、食べた時の食感だ。
舌の上に広がるしっとりしたケーキの食感。
口の中に広がり鼻道にまで立ち上るバターの香り。
そして、この地球上におそらく嫌いな人はあまりいないであろうチョコレートの甘み。

私が子どもの頃、近所にパン屋があった。
そこのパン屋ではトトロとかアンパンマンとかピカチュウとか人気のキャラを模した菓子パンが売っていたが、正直言ってあまり美味しくなかった。
食感はぱさぱさで、油はべちょべちょだった。
まだ今ほどパン屋ブームとかカフェブームがなかった頃の話だ。
キャラクターを模した食べ物といえば、そういうイメージしかなかったから、たぬきちゃんを食べた時の感動が人一倍大きかったのだ。

ところで、私がこのたぬきケーキいや、たぬきちゃんを買った時にお店の女将さんから「もうすぐお店を閉めるのよ」と聞いていた。
まあ、理由はよくある後継者がいないからだ。
こんなご時世にお菓子屋を継ぐのは大変なことだろう。
仕方がない。
創業51年の久留米の銘菓店は平成中に幕を閉じ、時代は令和に移り変わった。
時代と共にまた一つたぬきケーキが失われた。
これからたぬきケーキはどうなっていくのだろう。

参考サイト
たぬきケーキのあるとこめぐり / 全国たぬきケーキ生息マップ

 

K.Takeshita

30歳で初体験!? 軟弱男が火炙りになりながら地域のお祭りに参加してみた -筑後市熊野神社の鬼夜 参加体験記-

今年の1月5日、鬼の修正会(通称:鬼夜)が筑後市熊野神社で執り行われた。
実はわたくし、このお祭りに参加してきた。

なぜ筑後市在住でもない私が筑後市の鬼の修正会に参加したのか。
きっかけは遡ること約一ヶ月ほど前。
昨年の12月に筑後市観光協会の知人に呼び出された。
「鬼の修正会というお祭りがありまして」
観光協会の事務所に呼び出された私は知人からいきなり説明を受けた。
事務所に呼ばれて説明を受ける。もうこれは闇金ウシジマくんの世界である。
事務所に呼び出されていきなり説明を切り出されて逃げられるわけがない。
鬼の修正会の話をうんうんと聞き、「出てくれますか?」と言われたら出ない訳にはいかない。

そもそも筑後市の鬼の修正会とはどんなお祭りなのか。
久留米市の大善寺でも鬼夜が行われるが、筑後市の鬼夜と久留米市の鬼夜は由来が異なる。
筑後市の鬼夜は約500年前に始まったとされる火祭りである。
家内安全や無病息災を願うお祭りだが、それだけでなく、大松明の火の粉を浴びれば結婚できるとも言われている。
祭りの参加者は刈又と呼ばれる棒で竹や木を束ねてできた長さ約13メートル、重さ約500kgの大松明を支えて熊野神社の境内を3周する。
昔は神社ゆかりの男たちだけで行われていたが、近年は参加者数が減り大松明が転倒する恐れがあるから、市内外から参加者を募っているのだそうだ。

……。

…え?

大松明転倒??

長さ13メートル、重さ500kgの???

それ、危険やん。

そんなのに僕みたいな気弱な人間が出ていいの??

「大丈夫。大丈夫。あくまでメインは地元の慣れた人だから」
という甘い言葉。
え、ほんとかそれ。だって松明支える人が少ないんでしょぅ??

私が鬼の修正会の話を聞いていると、近くにいた観光協会のスタッフが声をかけてくる。
「何話してるんですか?」
「鬼の修正会の説明をしてるところ」
「ああ、男塾ですね」

男塾!!??

なにそのコードネーム。
男塾だよ。
男塾って聞いたら皆あのマンガ思い出すんだよ!!
俺なんて普段読んでるマンガ「のんのんびより」とか「ゆるキャン△」だよ!
男塾読んだことないよ!!

そんなわけで成り行きで筑後市民でもないのに筑後市の鬼の修正会に参加することになった。

1月5日。祭り当日。
18時に筑後市役所前に集合する。私以外に参加者は3人。計4人。心もとねぇ…。
参加費¥3,000を支払う。この参加費の中には保険代も含まれている。

車で熊野神社まで移動。神社にて無事を祈り、公民館に移動。
大松明担ぐまではまだ時間あるからここでご飯食べててよと案内される。
公民館に入ると、そこにはずらりと並んだ長テーブルと豪勢な料理と酒、酒、酒。
料理は刺し身に寿司に唐揚げにローストビーフ。
酒は大量のビールに日本酒。

す、すげぇ!

目の前の料理に私達4人は唾を飲み込んだ(チョロい)。
すでに長テーブルには地元の人達が座り大宴会状態。
私達は座りビールをお杓し合った。
ちびちびビールを飲みながら軽く自己紹介をし合う。
応募を見て参加したのは一人。後はみんな観光協会からの口説きとか。
ビールを飲んでいると地元の人がやってくる。
「今日はどうもありがとうございます」と頭を下げられたので、私達も頭を下げて「こちらこそよろしくおねがいします」と挨拶をする。
田舎の正月という感じだ。
私達は刺し身をつまみ、ビールをすする。
また地元の人がやってくる。
「本日はどうもありがとうございます。どうぞ酔わない程度に飲んでください」とお酌をされる。
「酔わない程度っていってもビール瓶の数すごいですよ」と冗談を言うと、皆が笑った。

「やっぱり参加者少ないですね」
「そりゃそうですよ。皆この時期ディズニーランドとか行きますって」
「でもディズニーじゃ刺し身や寿司食べれないですよ」
「3000円でこのごちそう食べれないですよね」
「あと、裸にもなれない」
などと冗談を言い合っていたら、唐突に
「祭りの説明するぞー!」
と声が響いた。
どうやら一旦食事を中断してオリエンテーションがあるようだ。
私達は外に出た。
大松明の説明がある。境内を回るという説明がある。
では刈又を持ってみましょうと促される。
刈又とは大松明を持ち上げる棒。棒といってもただの棒ではない。大松明に刺せるよう先端が銛のようになっている。
私達は刈又を持ち上げた。

……持ち上げた。

………持ち……上げ…た。

…どうしよう。持ち上がらない。

「え? なにこれ!? おもっ!!???」
思わず声が出る。
「もっと腰で持ち上げんか!」
背後から声をかけられ、「ぬぁぁああーー」という感じで持ち上げる。
なんとか持ち上がる。
だが、持ち上げた状態を維持し続けるのはキツイ。
「やばっ!」
刈又を地面に落としてしまった。
周りの参加者もビビっていた。
「そんなに重たいと?」
「うん。重たい」
「やばい」
さっきまでの余裕はぶっ飛び、私達は一気に焦り始めた。
再び公民館に戻る。
本番まで食べててよと案内される。
「おい、食っとけ」
「23時までなにも食えねえぞ」
「食ってスタミナつけとかないと」
「おい、酒も飲めって」
「シラフじゃあんなことできん」
私達は遠慮せず飯を流し込み、酒を食らった。
ぞろぞろと若い衆が集結し始める。どうやら市役所の祭り部の若者たちらしい。
皆若い。たぶん私らより若い。今どきの若者。サードウェーブ系男子みたいな人もたくさんいる。休日の趣味はY-3の服を着て馴染みのケバブ屋に行くことですみたいな男子もいる。
皆がプロではない、故に気を抜いたら大惨事になる。

ビールを飲んでいると、経験者の一人が声をかけてきた。
「いやー、初めて参加した時は手の皮がずるむけになりましたもん。お尻の火傷の痕がまだ消えないし」
私達は話の内容よりその経験者の顔を見つめていた。
坊主で、眉毛を剃っている。
坊主で眉を剃った厳つい兄ちゃんである。
そりゃあ中学生のときにいきって眉を剃るやつはいるだろう。
しかし大人になって眉を剃るやつなんてそうそういない。
いるとしたらそいつはまごうことなき強者である。
そして私達の目の前には今、強者がいる。
その強者が手がずるむけになってお尻を火傷して、火傷の痕が治ってないと申しておられる。
勝てない。私らのような軟弱ぽこちん野郎には勝つ見込みがない。
どんだけやべーんだよ、鬼の修正会って。

「ほらー!! 着替えるぞー!!!」
汽笛のような掛け声。
いよいよ始まった。
私達は服を脱ぎ、サラシを巻いた。靴下を脱いで足袋を履いた。
足袋を履くのにもたつく人が何人もいたが、私はスムーズに履けた。高校のときに弓道部に入っててよかったと思った。
着替えた者から外に出る。
寒い。
しかし、そんなことはどうでもいい。
男達が二列に並ぶ。
いつの間にか厳つい男達も集まっていた。どうやらベテランの彼らは別の場所で酒宴を開いていたようだ。
私達一般参加者、市役所の祭り部、ベテラン勢。
「ワッショーイ、ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
私達は熊野神社から離れた場所に移動させられ、火を囲み、ひたすら叫び続けた。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
喉があっという間に嗄れる。
「飲むか!?」
と言って渡される透明の液体。もちろん酒。清酒。
清酒で喉を潤し、再び叫ぶ。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
配られる酒。最初の頃は紙コップに入れて飲んでいたが、だんだん面倒くさくなり皆で一升瓶を回し飲みし始める。
酒を飲み、皆で肩を組み火の周りを回った。
気温は低いが、体は熱い。
清酒が、神事のときに捧げられる物だという意味がなんとなくわかった気がした。
21時前。
私達は小松明を持って隊列を組み、熊野神社に向かって走った。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
熊野神社ではすでに燃え盛る大松明がそそり立っていた。
私達が神社から離れた場所で掛け声を掛け合っている間、熊野神社では神聖なやり方で大松明に火がつけられていたようだ。
いつの間にかものすごい数の観客も集まっていた。
大松明からはぱちっぱちっという竹が弾ける音が聞こえた。
燃え盛る炎が辺りの大気をゆらしていた。
裸の上半身が炎で熱い。肌がピリピリする。
大松明から炎がこぼれ落ちた。火の粉が舞う。肌に火の粉がかかる。チクッとした痛さ。
私達は小松明を地面に下ろし、小松明を囲って円陣を組んで叫び続けた。
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
「ワッショイ!」
「「ワッショイ!」」
鐘の音が聞こえた。
私達は刈又を手にした。
オリエンテーションの時は持てなかった刈又を今度は持ち上げることができた。
温まった体と酒で覚醒した脳のおかげだ。
刈又を構える。
「いくぞー!!」
誰かが叫んだ。いや、頭の中で聞こえた幻聴かもしれない。
私達は刈又を構えて大松明に向かった。
まるで戦のようだった。
火を噴く竜に槍で挑んでいる気分だった。
刈又の先を大松明に差し込む。
大松明から炎の塊が落ちてきた。
それが私達の上に降りかかる。
熱い。だが、気にしない。いや、気にならない。
もはや熱いとかそんなのはテンションを上げるための一要素。
全員で大松明を持ち上げた。
「ワッショイ!」
誰かが叫んだ。
「ワッショイ!」
もう一度誰かが叫んだ。
「ワッショイ!」
「ワッショイ!」
今度は誰かが応えた。
「ワッショイ!」
「「「ワッショイ!!」」」
声が大きくなった。
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
声の大きさに合わせて大松明が動き出す。
周りのお客さんから歓声が上がった。
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
私達は大松明を抱えて境内に通じる階段を登った。
が、ここで…。
大松明が刈又からこぼれて地面に落ちてしまった。
逃げる観客。避ける参加者。
石階段に叩きつけられた大松明からは火の粉が溢れた。
「落とすな! 落とすな!」
「持ち上げるぞー!」
どこからともなく声が上がる。
私達は刈又を大松明に突き刺して、再び持ち上げた。
「ワッショイ!」
「「「ワッショイ!!」」」
「まだまだ声だせー!!! 声合わせろーーーー!!!!」
「はい!!!!」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
大松明がゆっくりと動き始める。
気を抜けばまた大松明が落ちる。まるで暴れる竜を皆でひっぱっているようだった。
「お前あっちに回れ!!」
「後ろから刺すなー。前から支えろ」
熟練者の指示が飛び交う。
「おまえらそんなんでいいとやー!!」
「なにしよっとかーーー!!」
観客としてやってきていたOBが私服のまま飛び込んできた。
「こうやって持つとやーーー!!」
彼らは私服のまま刈又を構えて大松明に差し込む。
「ほら、声声!」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「後2周ーーーー!!!!!」
「はい!!!!」
「お前、ポジション変えろーーー」
「刺す場所考えろーーー」
「慌てるな慌てるな」
「絶対落とすなよーー」
「何考えとるとやーーーー」
「声声声ーーーー」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
「ワッショイ!」
「「「「「「ワッショイ!!!!」」」」」」
目の前を舞う火の粉。かすかに聞こえる鐘の音。観客からの励ましの声。
「3周回ったぞーーーーーーーーーー」
「はーーーーーい!!!!!」
「階段降りるぞーーーー。今度は落とすなーーーー」
「はーーーーーーーーーい!!!!!!」
私達は大松明を支えながら一歩一歩階段を降りた。
今度は落とさなかった。
ゴールに辿り着いた。
「落とすぞ!!!」
「せーーーーーーーーーのっ!!!」
私達は一斉に刈又を外した。
大松明が役目を終えたかのように地面に落ちる。
火花が宙を舞った。
「終わったーーー」
「戻るぞ戻るぞーーーー」
私達はそれぞれ知り合いに声をかけたりしながら公民館に戻った。
公民館に戻ると皆トイレに行った。寒いところから暖かいところに戻ると緊張が一気にとけた。
服に着替えて、再び料理を囲む。
参加者同士お疲れ様と称え合いながら酒を飲んだ。
皆喉ががらがらだった。
肌が火の粉で赤くなっていた。
こんなに大声を出したのは何年ぶりだろうか。
高校の体育祭ぶりかもしれない。
地元の人がやってくる。
「おつかれさまです。ありがとうございます」と挨拶された。
私達も「ありがとうございます」とお礼を言った。
聞くところによると、この鬼の修正会は夏くらいから準備をしているらしい。
久留米大善寺の鬼の修正会と比較して筑後市の方が過激なのだとか。
地元の人達は明日の朝7時から片付けらしい。
ほんとに頭が下がる。
参加者同士でビールを注ぎ合いながら「来年も出るんですか?」と互いに訊いた。
「いやぁー、どうですかね」と皆照れを隠しながら答えた。
でも、来年も出たいと思った。
祭りの時に生まれる奇妙な友情と喉が嗄れるほどの発声はおそらく大人になってなかなか味わえるものではないから。

Photo:H.Moulinette
Text:K.Takeshita

久留米探訪 其の壱:日本三大火祭り、正月の夜を炎で染める大善寺玉垂宮の鬼夜

日本には古来より多くの祭りがある。そしてその中でも奇祭と言われるのが火祭り,中でも1600年の歴史を持つ国の重要無形文化財、大善寺玉垂宮の鬼夜は、道祖神祭り(長野)、鞍馬の火祭(京都)、那智の火祭り(和歌山)と並び日本三大火祭りと呼ばれている。そう、本来は三大祭りだったのだが、その歴史と重要性、規模と独自性が甲乙つけがたいがために、今では四大火祭りとなっている。

©KYism

その歴史は古く、仁徳天皇五六年(368年)一月七日、藤大臣(玉垂命)が勅命により当地を荒し、人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪(ゆすらちんりん)を闇夜に松明を照らして探し出し、首を討ち取り焼却したのが始まりだと言われている。

鬼会と呼ばれる一連の行事は大晦日の夜に始まる。まずは神官が火打石で起こした御神火(鬼火)を護り天下泰平、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する。そしてその祭りのクライマックスが、一月七日の夜、闇に包まれた境内で灯された長さ13m、重さ1.2トンの巨大な松明6本を裸の若衆が引き境内を回る鬼夜だ。

一連の神事を行うと、大松明に火が灯され、境内を埋め尽くした観衆からは歓声が上がる。さらにはその大松明に若衆がよじ登り、大松明を縛っている縄を外していく。熱さに耐えながら縄を解くと、境内に集まった多くの観衆から再び歓声が上がる。

©KYism

6本の大松明は両側に陣取った「たいまわし」と呼ばれる裸の若衆が長い刈又(かりまた)と呼ばれる樫棒で支えながら、勇猛に神殿を時計回りで2度回るのだ。火の粉が舞い散り、「オイサッ ホイサッ」と言う掛け声とともに境内を移動するド迫力の大松明は一見の価値あり、その炎にあたると無病息災・家内安全・災難消除・開運招福と言われており、多くの人がその松明について歩くのだ。

一番松明だけは境内を一周した後に惣門をくぐり、社前の川に設けられた汐井場で 火が消され、それにより鬼は「シャグマ(赤熊)」らに護られ禊を済ませて神殿に帰っていくのだ。

新年早々真冬とは思えぬ熱気、松明の熱で汗だくになり、さらには燻製状態までに煙に燻されて祭りを満喫することができるチャンスなどそうあるものではない。これだけ歴史ある貴重な祭りだけに、わざわざ遠方から毎年訪れる人も多いのだ。まだこの祭りを体感したことがなければ、間違いなく損をしている。一見の価値あり、一度は必ず自身で体験すべきだろう。

そして体験と言えば、なんと隣町の筑後市には似たような祭り、熊野神社の鬼の修正会(県の重要無形文化財) が存在している。共通部分は多いのだがその由来は異なり、こちらは大善寺玉垂宮の鬼夜に比べると歴史は浅く、527年前の1492年に始まり、仏に罪を懺悔し無病息災や五穀豊穣を祈る祭りだ。巨大松明も長さは13mで同じながら少し軽量で、重さ500kgとなっている。また裸の若い衆が支えながら境内を3周するのも同じながら、松明を支えるの刈又(かりまた)の形状が少し違う上にしなるために松明を支えるのは容易ではない。また大善寺玉垂宮の鬼夜が賑わうのに対し、人手不足が顕著で昨今は市内外から公募しなければならない状況となっている。

見るだけでは満足しない人にはこちらがおすすめ、火の粉を被りながら祭り自体に参加してみるのがいいだろう。

H.Moulinette

KYismには愛されるべきキャラクターがいる

久留米と八女を移住者目線から語るサイトがいよいよスタートしたが、何か一つ足りない、そう思い構想段階から考えていたのが公認キャラクターだ。サイトを覚えていただくうえでも、さらにはその先いろいろな発展性を考えた時に、それぞれ地域を象徴するキャラクターを作ることは必然だった。様々な伝統や歴史、産業溢れるこの地域の象徴として生まれたのが、くるめちゃんと八女茶人、これからこのサイトの秘かな人気者となっていくだろう。

くるめちゃんはその名の通り久留米出身、藍色の久留米絣の着物風ドレスを着ている現代っ子の女の子だ。髪の色は籃胎漆器に使われる漆の赤、性格は天真爛漫、新しいこと好きで活発、誰にでも好かれる可愛い子だ。

八女茶人は八女を代表する歴史的文化財の石人と特産品の八女茶から生まれたハイブリッドキャラクターだ。存在感抜群だが無口で寡黙、喋らせても口下手なのが玉に瑕だが、お茶目でユニークな表情で愛されるキャラだ。腰には刀、石人の中でも武人であり、これから軽~くすべての事柄をぶった切っていくという心構えの表れだ。

デザインをしたのは京都在住の可児葉月さん、和紙アーティストやイラストレーター、デザイナーとして活躍をしている。なぜ地元の人間ではないのか、それはやはりこのサイトを運営する僕ら同様に客観的にこの地域を見るためには地元の人間ではない人間の視野が必要だったからだ。客観的にこの地域を見て捉えてもらい、そして生まれたのがくるめちゃんと八女茶人の二人(?)のキャラクターだ。

多くの伝統と歴史が積み重ねられてきたこの地域にとっての新しいエッセンスとなるべく誕生した二人の個性的なキャラ、どんどんとその活躍の場を広げていってほしい。もしこれらキャラクターを使いたいという方がいればご一報をいただきたい。

KYism

なぜ今 KYism なのか

KYismで面白おかしく発信していこうってわけ

竹下和輝(以下、竹下) 今iPhoneの位置情報見たら「福島」って表示されてたからびびった。一瞬気づかない内に東北まで来ちゃったのかと思った。

森音広夢(以下、森音) ああ、八女福島の福島ね。

竹下 そうそう。

森音 八女って県名と間違えそうな名前のところ多いよ。うちは東京町(ひがしきょうまち)なんだけど、漢字だけ見ると東京町(とうきょうまち)とも読めるじゃない?

竹下 知らない人が見たら東京と関係がある地域なのかなって勘違いしそうだよね。後さ、すっごい不思議なところがあるんだけどさ。八女伝統工芸館の前にときめきっていう物産館があるでしょ。あそこでiPhoneの位置情報見るとなぜか「ガーナ八女」って表示されるんだよね。

森音 だからFacebookの投稿の位置情報が「ガーナ」になってることあるんだ。

竹下 もうさ、ガーナ八女って意味わかんないよね。アフリカなのかよ八女なのかよどっちかにしてくれよっていう。

森音 ガーナ八女のカタカナと漢字が混ざってるのも笑えるよね。

竹下 すげーパチモン臭がする。

森音 パチモン臭するする。八女が日本認定されなかったみたいだよね。

竹下 冒頭からこんなにかっ飛ばしたこと言っていいのかな。八女と久留米の魅力を発信するサイトを今からやろうとしてるのに、ディスりまくってて。空気読めてない感じかな。

森音 ディスってるわけじゃないから。事実を言ってるだけだから。

竹下 そうだね。事実を申し上げてるだけだもんね。

森音 地元の人には、僕らが移住者視点で書いた各記事を受け止めてもらって次の向上心に繋げて欲しいのよ。

竹下 元々YAME ISM(八女の情報発信サイト)ってやってたんだよね? YAME ISMはどういうきっかけで始めたの?

森音 八女に杉山先生っていらっしゃるんだよね。郷土史家でもあり絵描きでもあるんだけど、その人が地域の資料をものすごい持ってるわけよ。それを一部編纂して欲しいっていう依頼が僕のところへ来たのね。僕もそういう資料って好きだし、後世に伝えていくことってすごい大事だと思ってるから資料を預からせてもらったのよ。で、YAME ISMに地域の歴史とか地元の人が知らないことを載せていくことでちょっとずつ編纂していこうと思ってたわけ。

竹下 で、今はYAME ISMは更新してないよね?

森音 ちょうどYAME ISMのウェブサイト立ち上げて記事更新していこうって時に別の仕事が入ってしまって、忙しくなってしまったのよね。だから、落ち着いたらまた活動続けようってことで、一度ウェブサイトは閉じたのよ。ただなんかやりたいって思ってFacebookページだけは残したのよ

竹下 なんかやりたいっていうやる気はどこから?

森音 もったいないっていう気持ちかな。例えば揚羽空右衛門っていう八女出身の強い力士がいたんだよね。江戸時代相撲全盛期に雷電為衛門らと相撲を取り、歴史に残る名力士だったんだけど、そういう伝説的な力士がいたことを地元の人が知らないっていう現状があるのよね。お墓だって今でも普通に地元にあるし、それってすごいもったいないなって思って。

竹下 八女にも久留米にもいいところあるっちゃあるもんね。

森音 そういういいところをちゃんと探せばいいのに、今の地方のPRって無理矢理なにかをいいところに仕立て上げて、それを持ち上げようとするから第三者が見た時に違和感のあるものができあがる。

竹下 よくあるやつだとさ、「私の町にはきれいな自然が溢れてます」っていうやつ。

森音 そうそう。それって滑ってるよね。「いや、きれいな自然なんてどこにでもあるやん!」みたいな。

竹下 基本的に日本全国どこにでもきれいな山と水はあるからね。

森音 地元にいる人達が地元の良さに気づいてないからそうなるんだと思う。八女の人に「八女の良いところなんですか?」って訊いたら「ない!」って答えられたことがある。

竹下 いや、あるでしょ。

森音 うん。山のように溢れてる。

竹下 伝統工芸品とか八女茶とかいっぱいあるじゃん。もっとそういうのアピールすればいいのに。

森音 地元の人にとって当たり前過ぎて、それが魅力って気づいてないんだと思う。久留米の城島ってあるじゃない?

竹下 日本酒で有名な?

森音 うん。でも城島って他所ではあまり知られてないんだよ。

竹下 え!? 城島が!!?

森音 よっぽど日本酒が好きな人なら知ってるけど。

竹下 なんで知られてないんだろ。

森音 やっぱり他所の人からすると九州は焼酎文化ってイメージなんだよね。日本酒では東の灘、西の城島って言われるくらい、城島も名高い酒どころなんだけどね。

竹下 知られてないってもったいないね。すげー日本酒マニアじゃなくてもさ、ちょっと日本酒が好きですっていう女性とかにもっと知られてほしいよね。

森音 今の地方の魅力発信って内輪向けになってるんだよね。内輪向けにPRしても地元の人が「頑張ってるねー」って言ってくれるだけで終わる。地元の良さって外に出さないと。

竹下 外に出さないと残っていかないものってあるもんね。

森音 そう。地域の大切なものがなくなってから文化財保護みたいなことしてもしょうがないからね。外への発信をKYsimで面白おかしく発信していこうってわけ。

竹下 決してKY(空気読めない)ではないと。これで久留米、八女に「なんだこりゃ」と思って人が来てくれるようになったらいいね。

森音 うん。KY(久留米&八女)で。

竹下 じゃ、KYism、始動で!

森音 これからKYismをよろしくお願いします。