ぼんぼり祭りを考える:主役に抜擢されるべき八女の「箱雛」、景観破壊度抜群のピンクののぼりに観光客から「がっかり」との声、リピーターを生むために必要なこと

八女市の白壁の町並みで平成9年より毎年行われるぼんぼり祭り、全国有数のひな人形の産地として毎年2月中旬から3月下旬にかけて行われている。福岡県は雛人形の生産量が埼玉県に次いで全国で2位、産業として盛んである。

今現在は量産品、産業としての雛人形ではあるが、過去には八女には独自の雛人形があった。江戸時代から昭和の時代にかけて、仏壇屋や大工の副業として作り続けられてきたのが「箱雛」だ。仏壇の生産が盛んだったこともあり、衣装は仏具の生地、さらには八女和紙を使い、飾りの小物は今では国の伝統工芸品の指定を受けている八女提灯の金具を利用し、仏壇同様に「人形が箱に入っている」状態で飾るように作られていた。皮肉なことに、産業として八女で雛人形が量産されるようになると、八女の個性であった本来の「箱雛」はその姿を消してしまった。 今では量産品の雛人形を箱に収めて箱雛とはしているが、その姿は本来のそれからは遠いものとなってしまった。

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近隣の柳川市はさげもん、吉野町はおきあげ雛、臼杵の紙雛と九州は独特の雛人形が多い中で、八女は本来であれば「箱雛」を前面に押し出すべきが、量産品の雛人形がその主役となってしまっている。産業が量産品中心であり、そのシェアが全国2位だから始まった祭りであり、「箱雛」は過去の歴史の一端でしかない、というようにさえ見えてしまい、観光客にも独自性である「箱雛」の良さが伝わっていない。何よりも昔ながらの箱雛を今では作る職人さえいないという現状が、職人の街としては寂しい限りだ。作りたいという職人はいるのだが・・・

せっかくの祭り、訪れた観光客がここでしか味わえないお雛様を体験してもらうべきであり、その主役は「箱雛」であるべきだ。白壁通り沿いの民家が自宅の雛人形を通りの窓越しに展示し、また横町町屋交流館でも雛人形の展示を行っているが、全体数からすれば箱雛はごく僅かであり、どこもその説明に乏しいのが現状だ。横町町屋交流館では箱雛は飾ってあるが、まるで人形供養のごとく大量に並べられた同じ顔の量産品がメインステージを陣取ってしまい、すっかりわき役となってしまっている。毎年のポスターでもその箱雛が全面的にフィーチャーされることはなく、地元作家の素晴らしい切り絵で飾られてはいるが、ごくありふれた「雛祭り」のポスターになっているのもとても残念だ。

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が故に没個性的なひな祭り感が漂い、一部イベント日程以外は観光客がまばら、閑散とした光景が例年定番となっている。正直何度も訪れたいというレベルの祭りではなく、彼らがリピーターとなるには程遠いと言わざるを得ない。観光を謳う地域として、明らかにかけた予算に見合った観光客の数は獲得できていないのが現状だ。

また問題視すべき問題点はもう一つある。白壁通りという古い美しい街並みを謳いながら、祭り期間中は派手なピンクののぼりがそこら中にに乱立するのだ。最近ではインスタ映えという言葉が一般化し、SNSなどで写真などをあげることが一般的になっている。しかしこのピンクののぼりのおかげで、せっかく町を訪れた観光客からは「写真映えしなくなる」、「なんでもっと配慮したものにならないのか」、「街並みに合っておらずがっかりした」という声が毎年のように聞かれる。例えば京都では自動販売機ですら街並みに合うように色合いを規制したりするなど、「観光とは人が何を求めてくるのか」、ということにきちんと向き合っている。八女は観光を謳いながらも、その入り口をすでに見落としている残念さが、現状の「地方」レベルなのだろう。無難なパンフレットやポスターにかける予算をかけるくらいならば、それを部分的にカットしてでも、まずは”訪れた人が心地よく感じる景色”、”環境に配慮した色合いとデザイン”ののぼりに切り替えるなど基本的対策が必要だろう。それが街並みを観光の目玉、起爆剤としたい、またすべき町のやるべきことだろう。

そして「箱雛」という伝統をしっかりと掲げ、「ここでしか体感できない雛祭り」という演出をしてこそ、八女の良さが十分に発揮できるのではないだろうか。

H.Moulinette

廃線探訪:居残った看板が駅の証跡 -福岡県八女市上陽町の北川内駅-

みなさんは福岡県筑後地域にかつて矢部線と呼ばれる路線があったことをご存知だろうか。
矢部線は1945年に開通した日本国鉄線の地方路線の一つである。
終戦後日本で初めて開通した路線で、羽犬塚と黒木の間の19.7kmを繋いでいた。
本来は山奥の矢部村まで線路を伸ばす予定だったが、その夢叶わず第1次特定地方交通線に指定され1985年に全線廃止となった。

今回私が訪れたのは福岡県八女市上陽町にある北川内駅跡。
北川内駅は1945年12月26日矢部線開通とともに開業された。
1962年には業務委託駅化。
1971年2月20日には貨物及び荷物の取扱停止、無人駅化し、1985年矢部線廃止とともに廃駅となった。
廃駅時には1面1線の単式ホームで、駅舎はなく待合室があるだけだった。
駅が現役時には駅前広場に「大伴部博麻出身の地」と書かれた標柱が建てられていたようだ。

北川内駅があった場所は、現在八女市地域福祉センターが建っている。
駅の敷地内だったと思われる場所には福祉センター、駐在所、消防団の建物、保健センターが建っており 駅の跡など見つからない!!

歩道と車道の間の段差がそれっぽかったので「まさかこれは駅のホームの名残か!!??」と胸が熱くなったが、文献を調べたらそういうわけでもなさそうで、沸騰仕掛けの胸はすぐに雪で冷まされた。

福祉センター前を走っている道路がかつて矢部線が走っていた場所。
道路は緩やかなカーブを描きつつもまっすぐ走っている。

駅の痕跡は、実はしれっと残っている。
それがこちら。

「…(中略)…駅前駐車場を御利用下さい」と書かれている。
これは北川内駅があった頃の名残。

道路に引いてある斜線部分が看板に書かれている駐車禁止スペース。
あまりにも馴染みすぎてて見落とすこと間違いなしの鉄道史跡。

ちなみに駅前駐車場とは北川内駐在所の隣にある駐車場のこと。
今も地域を見学するためなら無料で駐車できる。

文献やウェブサイトで色々調べていると北川内駅が現役だった頃の駅名標のローマ字表記は「KITAKAWATHI」だったようだ。
「THI」では「ち」でなく「てぃ」である。
「ピザ」じゃなくて「ピッツァ」でしょみたいな感じだろうか。
この駅名標が残ってたらかなり面白かったのに非常に残念。

K.Takeshita